2017年9月16日 『28年前日記』その10:第8チェックポイント クイーンズタウン(1989年9月16日)

今回の「観光」ではこのようにみんなにハンディカメラが渡され、好き勝手に撮影をすることになった。放送ではほとんど使われなかったから、これも僕らの実態把握の一環だったのかも知れない。
※1 さあ誰が座ってる?
永田さんやん。なんか変装して乗り込んだとか乗り込まなかったとか。
※2 「土産を買うと負ける」というウルトラクイズのジンクス
これは昔からよく聞く話である。あと、「財布を落としたら負ける」も有名。
※3 「おっちゃん、全部でなんぼや?」
当然英語である。
※4 当然日本食だ
ここまですでに3ヶ国を旅しているのにもかかわらず、夕食は全て「中華」か「日本食」だった。慣れてないものを食べて体を壊してしまわないように、というスタッフの配慮だろうが、いい加減この2種類には飽きていた。
※5 到着していきなり本番となった
このパターンは後にも先にもここだけだった。放送をよく見ると、僕らが立った雛壇は向かって一番左が不自然に空いている。そこには永田さんの席が置かれるのだが、それを察知させないためのものなのだろう。
※6 自分のクイズのフォーム
もちろん「押す」フォームね。
※7 ブルマンの時もそうだったが
ブルマンのレイギャルはとてもお茶目な子で可愛かった。一番強く抱きしめ返してくれたのはあの子だった。
※8 おまけにこの子はとても綺麗だったので僕は満足だった
これはちょっとしたハプニングを生んでしまった。実はこの子、僕に急に抱きしめられたものだから舞い上がってしまったのだ。本来なら勝ったみんなに祝福のキスをするのだが、パニックになっていてそれを忘れてしまうのである。放送を見ると他の勝者への振る舞いが無茶苦茶ぎこちないのがわかる。
つまりこれ以降、「1人ヘンなのがいるから…」という注意がレイギャルに出されるのである。
※9 キーウィはやはり今回も飛ばなかった
『創造力』のコラムでも書いたが、第13回ではRUQSのジュニア、名大の吉野、トシノリなど後輩連中が先に負けることが多かった。その都度、残った我々先輩どもは「あいつらは伝書鳩として仲間に現状を伝えてくれるだろう」と言っていたのである。で、東大はというと、あやうく大先輩のター兄ぃが飛んで行きそうになっていた。
しかし田川さんは全然負けなかった。飛びそうで飛ばないことからいつしか彼はニュージーランドの飛べない鳥に引っ掛けて「キーウイ田川」と呼ばれるようになったのである。
※10 9人がクイズ研
残る1人は正木である。
クイーンズタウンでのスタッフとの会食はドキドキものだった。
畳敷きの広い部屋での食事だったが、トメさんがクイズ研嫌いというのは知っていたので下手なことにならないように僕は彼から顔が見えない位置に隠れるように座っていた。
トメさんがいろいろ話をしているのはわかる。内容までは聞こえない。
しかしどうやら順番に挑戦者を呼んで前に座らせて話をしているようだった。
で、最後の最後になって、
「おい、マルタはどこ行った!」
あちゃー。とうとう呼ばれたかー。まあいつかは呼ばれるんだよなあ。
「はいはいここにおりますです。お声が掛かるのをお待ちしておりました。」
無茶苦茶調子いいことを言って僕はトメさんの前に座った。当然正座である。
「お前、ちゃんとクイズやってんのか?」
いきなり先制パンチである。
「いや、ちゃんとやってますよー。」
「じゃあ何で1抜けがないんだ?」
1抜けって。たしかに機内ペーパーでトップにはなったが、それ以降は1抜けは1回もなかった。でもよく考えたらドロンコは1抜けもへったくれもないし、夜中の奇襲も同様だ。ゴールドコーストは団体戦だし、モーリーはバラマキだし。結局二重音声だけなんだよなチャンスがあったのは。しかしそれでもトメさんの目には僕がマジメにやってないように映ったようだった。裏を返せば僕に異常に高い期待をしているという証拠でもある。
「いや、これからやるんですよ。」
とギャンブラー正木ばりのセリフを言うのが精一杯だった。
「明日はどうするんだ?」
「明日はもちろん1抜けします。」
「絶対か?」
「します。」
という会話が展開された。ニュージーランドの日本食レストランの2階の大広間で公開説教である。でもそのシチュエーション、改めて思い直してみると面白いよなあ。
で、次の日のクイズ。僕はかろうじて1抜けを達成した。正解数わずか2問で。
勝者インタビューではトメさんは言った。
「1抜け何回目だ?」
「1回目でーす。」
放送ではいきなりこのやり取りとなったのだが、実はその前夜にはこんないきさつがあったのである。
というわけで、次のショットオーバー篇は明日17日の夜に。

クイーンズタウンのクイズ後に撮影した1枚。右に写っているのは挑戦者担当のADである我らが廣田さん。廣田さんの雄姿を放送で確認したい人はゴールドコーストへ。ルール説明の際に沖でロープを持って頑張っているのが廣田さんだ!
でもこれ、誰が撮ったんや?明らかに廣田さん込みの構図になってるやん。
その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)
その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)
その10:第8チェックポイント クイーンズタウン(1989年9月16日)

コメント(7)
オレはトメさんとどんな話したんやったっけ?全然憶えとらんわ。日記にも書いとらんし。
それにしても、廣田さん入りの写真は誰が撮ったん?間抜けやなあ。
あの写真、お前だったのか。
どうも、はじめまして。
ウルトラクイズ放映した当時、中1でした。個人塾に通ってるときにウルトラクイズの放映日と重なっていたので誰が勝ち抜けたのか気になってしまい、塾の頭にはならなかったって記憶しています。知り合いは、立命館大学まで行き写真を撮った帰りに長戸さんを見かけたっていうことらしいです。そんだけ、13回ウルトラクイズはインパクトがあったみたいですからね。
あれから、28年ですか。早いものですね。うちの娘さん(小1)に見せたら食いついたウルトラクイズに歴史も関係ないようで長戸さんの「手のひらを太陽に」が答えれないのを見てそんなのわからないのーって馬鹿にしとりましたよ。わたしの気持ちは、28年前に戻ってますけどね。続き楽しみにしています!
追伸・わたしも横浜ファンです!
メッセージありがとうございます。
そうですか、娘さん、知ってましたか。よかったです。それがクイズの面白いところです。年齢も職業も何もかもフラットな状態でできる競技ってあんまりないですよ。彼女と僕がその問題で早押しをやったら確実に僕が負けていた、ということですから。すごいすごい。
これからもよろしくお願いします。
ひょっとしたら、そうかもしらん。
まあ、シャレや、シャレや。
長戸さん、こんにちは。
わーいヽ(^o^)丿 オールブラックスの写真!
しかもこの写真、すごく素敵です!!
オールブラックスユニフォームを着てクイズをしていた長戸さんがとても印象的でした。
その後、私も大学時代にニュージーランドに行ったときに
オールブラックスのタオルを買いました。今も使いますよ~。
留さんとの前日の会話を受けて、翌日すぐに1抜けの結果を出すって、すごいです!そこでもやはり精神力が必要だなと思いました。
まだまだ続く28年前日記、ワクワクして待ってます!
あの写真の主役は廣田さんです(笑)
トメさんとの会話、それを知った上でVTRを見るとリアルで面白いよ。
そういうのが今回の日記には散らばっています。