scarletfactory 〜13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人 official HomePage〜
Scarlet Factory~13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人 official HomePage~Scarlet Factory~13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人official HomePage~

コラム 毎週木曜21時更新

2017年9月14日  『28年前日記』 その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


たぶん、この「13人」というのは本来のチェックポイント(エアーズロックやパースなど)でのクイズでの通過人数の結果なのだろうと思う。13人でシドニー、は決まっていたもので、そこに至る道筋が変わっただけなのだろう。もちろん想像だけど。

寒い寒いと言っている僕に関根が「自分の言っていた説って本当に信じてるんだ。」って半分呆れて言っていたのが無茶苦茶印象に残っている。

とは書いたけど(『創造力』ではカット)、シドニーとニューヨークのレイギャルはミス○○系なんだけどどちらも好みではなかった。がっかり。やっぱりゴールドコーストだよなー。
ちなみにレイギャルで美人だなーと思ったのはシドニーの次のクイーンズタウンとトマト戦争のツインレークスだった。

実際にこの注意がされたのはアメリカ本土上陸後らしい。なぜそれを断言できるかは次のクイーンズタウンで書こうと思う。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


シドニー湾クルーズを楽しむ挑戦者たち。永田さんが写っていないのはそういうわけか。
しかしオチャラケる田川さんなどを尻目に、どこでも安定のイケメンぶりを発揮する木村は凄い。


クイズが終わってバスに乗り込んだ僕らに地元のJKたちが手を振ってくれた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


これ、サラっと書いているが、当時のRUQSの流行語だったりする。恒川の弟子で1回生ながらバーンとボタンを押して解答権を得るも腕組みをし、「うーん、わからん!」と豪語する猛者がいたのだ。彼のマネがRUQSでも流行り、そして当時の僕のマイブームでもあった。

これ、どう考えても怒られる案件じゃん(笑) こわいなー。若気の至りだなー。トメさん、すんません。

後に『ワールド☆レコーズ』で記憶力ナンバーワンを決めるときに、僕はこの方法を使って勝ったのである。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

第13回の裏話はたくさんあるけど、そろそろ時効かなと思うのでシドニーでの裏話を公表してみようか。(ドキドキ)

本編にもある通り、インスピレーションクイズで勝った僕ら10人はシドニー湾観光に引っ張り出された。
自由行動ではなく強制観光ということは「拘束」や「隔離」を意味する。僕らは多分市内で敗者復活戦をやってるんやろうなあ、と言いながら観光を続けた。
当然結果はわからないのだが、観光を終えて市内に戻ってきた僕らの目に飛び込んできた光景が、上に書いてあるジュニアとトシノリの姿だったのだ。
このくだりは『クイズは創造力』では全てカットしてある。最後の最後で僕がカットしたからだ。だからこのネタを今初めて知ったという人も少なくないであろう。

さて、カットされた本編にもある通り、僕らは状況から敗者復活戦の結果が「2人」と「1人」に分かれたことまでは理解できた。しかしどっちが復活したのかは依然としてわからなかった。
そうこうしているうちに僕らは目的地に到着した。そこで合流するスタッフが来るまで待っていた。
事件が起こったのはここで、である。

日テレとは直接関係がない現地のスタッフ(日本人)が僕らに突然話しかけてきた。
「いやー、さっきの彼、すごく喜んでたねー」
んー?!
「なんかクイズをやったんですか?」
「やったよ。勝った彼は凄く喜んでたね。」
「喜んでいたのは1人ですか?」
「1人だよ。」

この人物がどんな立場でウルトラに関わっていたのかは今となっては知る由がない。ただ僕らの観光には同行せず、敗者復活戦が行なわれたあのモノレールのホームにいたことだけは確かだった。
この時点で僕らは全てを理解した。そうかー、永田さんが戻って来るのかー。

僕らはちょっと安心した。それは永田さんが勝ったからではない。無論ジュニアやトシノリが負けたことでもない。とにかく僕らは何でもいいから「正しい情報」が欲しくて欲しくて仕方がなかったのである。それほど精神的に追い詰められていたわけだ。
ウルトラクイズとはそういうものなのである。

ただし僕らもバカではない。事後処理をしなければいけない。とにかくそのスタッフに釘を刺さなければならないのだ。
「実はそのことは、僕らの耳に入れてはいけない情報なんです。だから僕らに言ってしまったということを他のスタッフには絶対に伝えないでください。僕らも聞いてないことにしますので。」
とにかく僕は、僕らが知ってしまったことがスタッフに伝わるのがマズいと思ったのである。

実はこのツアーではもう1つ、やはり情報が漏れて僕らが知ってしまったことがある。そのことと、今回なぜ僕が頑なまでにスタッフに情報を知られるのを恐れたかについては、次の次、ショットオーバーのコラムにて書くことにする。

ウルトラクイズではスタッフが僕らを全力で騙す。でも第13回に限っては僕らも騙し返していた。
お互いにどこまで騙し切れて、それがどこまでバレて、バレてるのがわかってるのに知らないフリをして、さらにどこまでわざとバラしていたのか、それは明確にはわからない。しかしわかってることが一つだけあった。お互いに最高のものを作りたい、という意識があったということだ。それだけは明確な真実だったのである。

というわけで、次のクイーンズタウン篇は16日の夜に。

その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)
その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)





コメント(9)

“『28年前日記』 その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)” への9件のフィードバック

  1. あきとし より:

    ウルトラクイズのゲストに高中正義が出てくるいうのは意外も意外やったなぁー。たしかに。

  2. ともあき より:

    この空白の1日(?)を凄く楽しみにしておりました。復活者の方のアリバイが気になります。特別掲載していただけるとありがたいです。(今頃言っても遅いかな?)

  3. 日髙大介 より:

    僕が中学1年生だった1990年に『クイズは創造力』を初めて読んだのですが、その頃はマリックさんは知っていても高中正義さんは知りませんでした。
    当時は当然インターネットなどはないため、高中さんの顔を見たくても、どうしても知ることができません(町中のレンタルCD店を回ったのですが見つかりませんでした)。
    「見たい…高中正義の顔…」
    そんなある日、音楽通のクラスメイトが高中正義特集の雑誌を学校に持ってきてくれて、僕の前に「ほら」と。『創造力』を読んでいたクラスメイトの全員で「うぉー、これが長戸さんの言っていたマリックかー!グラサンもヒゲもおんなじやんけー!!」と狂喜乱舞したのを覚えています。
    クラスに2日間だけ巻き起こった高中正義ブームを懐かしく思い出しました。

    • Nagato より:

      たぶん読んではおられないと思いますが、高中さん、本当に申し訳ございません。
      こいつはこんなこと書いてますが悪気はないので許してやってください。

      あかんぞ日高。こらっ。

  4. すみ(角) より:

    毎日、楽しく拝見しております。私共夫婦は年末にシドニーに行く予定にしています。その時に、私はまたウルトラクイズのことを妻に話して、妻は微笑んでくれるでしょう。夏にあたるので、ウルトラクイズのTシャツを持っていきます。

ともあき へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です