2017年9月24日 『28年前日記』その14 :第12チェックポイント チムニーロック(1989年9月24日)
![]() 永田さんが乗る6号車からの風景。こんな修羅場でもちゃんと写真を撮る永田さんはホントに凄い(笑) |
※1 僕らは片っ端から漁って割り出そうとしたが
新しい空港やホテルなどに到着したとき、僕らがまず最初にする行動が、このパンフレットや地図を漁ることだった。これはグアムの夜の奇襲クイズでの第1問、「オーストラリアとオーストリアは同じ語源からついた名前である」という問題の答がパンフレットに載っていたことに端を発する。それ日以来、とにかくみんな競うようにパンフレットを手に入れ、書かれている英語を片っ端から各自で訳し始めるのである。スタッフはそのような光景をよく目にしていたらしく、トメさんからは「今年の挑戦者は、よく遊び、よく学ぶねえ」とクイズの本番のコメントで言ってくれていた。
※2 「また予想が外れたようだね。」
このころになるとスタッフ側にも僕らの「怪情報」の噂が立っていて、クイズ前になるとトメさんたちは「今日は何だと思う?」と僕らに聞いてきていた。わざと外す気は毛頭なかったが、結局予想はただの一度も当たらなかった。

※3 「世界で最も高い気温を記録したバスラがある中東の国は?」
その後、バスラの記録は昔の観測員の記載ミスだったということで無効になり、現在ではアメリカのデスバレーが世界最高気温を記録した場所となっている。
※4 お互い顔を見合わせ抱き合って喜んだ
5台目のコンボイが広場に到着しようと向こうからやって来たとき、永田さんは僕のコンボイと及川のそれとを見間違えたのだった。
永田さんはそれで僕の負けを一旦自分の中で受け止めた。しかしもっとコンボイが近づき、僕の名前を確認するや安心して泣いてしまったのである。
コンボイが終点の広場に到着し助手席から下りてきた僕が最初に放った言葉は
「わっはっはっはっは。負けるわけねえじゃーん。」
だったのだが(それを聞いていたトメさんは笑顔で「あれだけ間違えて偉そうに言うな!」と即座にツッコむ)、笑顔の僕に対して永田さんが泣き顔だったので逆に驚いた。
このチムニーロックでのクイズ、僕は絶体絶命だったんだけど、これはスタッフのイタズラというか罠が原因だったりする。
最初の三択クイズで僕と永田さんはそれぞれ5号車と6号車になった。しかしあれは偶然の産物ではなかったのだ。
スタッフはそれまで楽勝にクイズをやっていた僕らに試練を与えて試してみたのである。
もちろん事前に問題を教えるなんてことはあり得ないから、三択クイズの結果は全員の実力であるのは間違いないところだが。
仕掛けは1問目と2問目にあった。
VTRを見れば確認できるが、この2問は数字やそれに準ずる問題が出題されている。
正解はともに2番なのだが、それが『第13回』最大の罠であった。
テレビでのクイズではこういった手の問題では必ずと言っていいほど「極端なものが正解になる」という古典的な法則がある。「正解は○○です!」と発表した時に驚きを持って迎えられるからだ。
だから僕や永田さんは数字の問題にはほぼ自動的に「2番」という選択肢が頭から消えるのである。
多分、秋利もそうだろうし田川さんもそうだったかも知れない。クイズ研3年目の及川もこの法則はわかってるに決まっている。
つまりあの問題で引っかからない可能性があるのはクイズ歴が最も浅い東大1年生の木村だけなのだ。
当然もしあの問題で木村が間違えていれば問題そのものが放送されることはなかっただろうし、その後さらに2問続けて「2番」が正解となると、いくらなんでも僕らでも気付く。だから1問目で「長戸・永田以外の誰か」が正解を出すのはスタッフの願いであり、祈るような気持ちで見ていたことだろう。
果たしてスタッフの祈りは通じ、木村は単独正解で1号車に乗り込んだ。
多分スタッフは大喜びしたに違いない。
そして続く2問目。やはり僕らは「2番」を避けてしまい、この段階で僕ら2人の最下位とブービーが決定した。
問題の選定や出題順はクイズの前夜に決まるのだが、多分夜中のその会議で
「これ、あいつら絶対に1か3を挙げるぞー」
「2問続けたら焦るぞー」
みたいなことを言っていたに決まってる(笑)
くそー!(笑) やられたぜ。
まんまと罠にハマったわ。
あの三択では秋利はちゃんと2抜けを果たしてるから、いくら「クイズ研潰し」の問題であっても、ドンくさいのは僕ら2人の方なのである。
まあでもハードな労働であればあるほどアフターのビールが美味いみたいに、試練があった方が優勝の味も格別になるのだ、と強がりを言っておく(笑)
ウルトラクイズでは挑戦者同士は尊敬すべき仲間ではあるが敵である。スタッフも信頼すべき仕事仲間ではあるが、やはり敵なのである。
というわけで、次のメンフィス篇は明日、25日の夜に。
その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)
その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)
その10:第8チェックポイント クイーンズタウン(1989年9月16日)
その11:第9チェックポイント ショットオーバー(1989年9月17日)
その12:第10チェックポイント ロサンゼルス(1989年9月20日)
その13:第11チェックポイント ツインレークス (1989年9月22日)
その14 :第12チェックポイント チムニーロック(1989年9月24日)

コメント(12)
チムニーロックの写真も永田さんのかいな。
すげえなあ。
こりゃ~やっぱ、30年前日記で永田さんには仕上げてもらわんといかんわな。
チムニーロックそのものの写真はオレやけど、コンボイからのは永田さん。ホンマ凄いわ。
30年前日記。師匠、たのんまっせ。
何を仰います、師匠!
最後方はヒマだったので←←←←←
でも、すぐ前の5号車にカメラ来てるときですねw
30年前=2年後だと『平成』終わってるので
新元号記念で何とか_φ(・_・
前半、ヒマでしたよねー。チャンスすらないって斬新でした。
新元号での日記、期待してます。
ここ最近、忙しさにかまけて「28年前日記」を全く見ていなかったのですが、そろそろ追いつかねばといざ読み出したところ、止まらなくなってこんな時間に…。
先月のトークライブや見せていただいたアルバムとも相俟って、28年前にタイムスリップした気分を味わわせてもらっています。ありがとうございます。クイーンズタウンで写真に写り込んでいたピンクジャンパーの方の正体もわかって安心しました。
メッセージありがとうございます。
追いつかなくても大丈夫です。逃げては行きません。
トークライブにお越しいただきましたか。それはそれは。
ちなみにクイーンズタウンの写真に写りこんでいたのは僕で、主役は廣田さんです。
はじめまして。
当時小学生で、ウルトラクイズの日は
テレビにかじりつき
早くこいこい!木曜日!だったものです。
爆走コンボイ、超かっこよかった。
今では考えられないダイナミックな企画ですね。
木村さんの一瞬きょとん、の後のはじける笑顔、
たあニイのあう~ともぱお~ともつかぬうめきが懐かしいです!
メッセージありがとうございます。
木村、可愛かったよなー。あいつは今もあのままだからすごい。
田川さんの「うめき」は小林さんのモノマネです。
1馬力のコンボイに乗ってる長戸さんの罰ゲームも見てみたい気もします。
メッセージありがとうございます。
僕なら途中であれを担いで猛ダッシュしてました。
毎回楽しく拝見しております。
チムニーロックの3択では秋利さんの『26年前日記』で件の「罠」に気づいた話が出ておりましたね。
↓
「チムニーロックでのコンボイクイズは3択がカギだった–1989年9月24日」
http://golgo13.asia/uq19890924/
本日のメンフィスも拝見しました。
いよいよ次は伝説のボルティモアですね。
当時を思い起こさせる写真が次々出ますので都度感動しております。
差し支えなければこれまで未公開のものもお目にかかれれば幸いです。
メッセージありがとうございます。
あの罠は全く気付かなかったですね。
危うく落ちそうで大変でした。
写真はこれが限界です(笑)