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コラム 毎週木曜21時更新

2019年2月16日  クイズの楽しみ

もう2月。早いなー。

去年の秋ぐらいからクイズイベントがたくさん入っていて時間を取られ、ついついコラムが疎かになってしまっていた。

会う人の多くから、果ては年賀状まで、「コラムを楽しみにしてます」という声をいただいて恐縮至極。なんかごめんなさい、という感じです。

またボチボチ再開していきます。

イベントをたくさん重ねていると当然のことながら沢山の人と出会う。

なかでも多いのが「最近クイズを始めた人」である。

なんかのきっかけと偶然からクイズを始め、そしてさまざまな偶然を経て僕に到達してイベントに参加してくれたみなさんだ。

僕は、クイズには底なしの面白さ(正しくは「奥行きも深さもわからない面白さ」)があると思っているわけだけど、ビギナーである彼ら彼女らにその一端を感じさせることができるかどうかは、僕に最初の関門としての役割があるのではないかと勝手にプレッシャーを感じている。

誰にでも、あるものに興味を持つということはよくあったとしても、「ハマる」というのは必ず次の段階として最初とは種類の違うきっかけがあるものだからだ。

取り越し苦労であればいいのだけど、もし彼らにとってそれが僕のクイズだったらと思うと、どうしても責任を感じてしまう。

もちろんこれは自分勝手な話である。

ただそれは、無益なプレッシャーではない。僕にとってそれは同時に僕を律するものでもあったりしているからだ。みんなにとって大事な時間だから絶対に手を抜かないでおこう、と考えるからだ。

だから僕自身もそういったプレッシャーをわざと感じるようにしているのかも知れない。自分が成長するために。

さて、そんなクイズを楽しみ始めたばかりの人から、ある質問を受けたので、今回はそれを僕の答とともに紹介してみたい。

その質問とはこうである。

「クイズを始めて1年になりますがいまだに何をやっても楽しい。勝っても負けても楽しい。これでいいんでしょうか?」

これ、クイズを始めたばかりの人には「あるある」なことで、多くの人が頷ける内容ではないだろうか。もちろん僕も中学や高校時代は同じことを考えていた。

この質問に関してはひょっとしたら、「それでいいよ、そのまま楽しめばいいじゃん」と答えるのが正解で親切なのかも知れない。

でも僕は敢えて違うアプローチを彼に提示した。

それは「楽しみにも種類があることを知って欲しい。」というものだ。

「待ちに待った◯◯ができる」とか、「とても好きな◯◯をやっている」、というときは、当初は行為自体が楽しくそれで満足してしまう。

例えて言うなら、野球においてなら「打席に立てる幸せ」みたいなものだ。

もし「打席に立つこと」が幸せなら、その打席の結果には意識は向けられない。例え見逃し三振でもピッチャーゴロでもある種の満足感があるだろう。

しかし当然のことながら野球はそれだけではない。                                                               

三振よりも単打の方が、単打よりも本塁打の方が、一般的に付随する嬉しさや手応えは大きいのである。

しかも野球にはバッティング以外にも走塁や守備のプレーもあり、やはりそれぞれで充実感や喜びを感じることができたりする。

野球に限らずスポーツというものは本来そういうものだ。実にさまざまな角度から接することができ、さまざまな面で楽しむことができるのだ。

クイズも同様である。

クイズに接する角度も見える面も実に多種多様だからもっと多くの結果に意識を向けるべきなのだ。

「せっかくクイズというものに触れて、それが面白いと感じているなら、そのレベルの楽しみでは終わらせず、もっともっとたくさんの、そしてもっと高く深く広く濃い楽しみを感じられるようになってほしい。絶対に損はしないから。ただ・・・」

僕はこう答えた。

ただ・・・、である。その後に続けた言葉こそが答の本題だったりする。

これは、こんな「いろいろな楽しみを見つけてね」で終わるような単純な話ではないのだ。

「ただ、当然だけど、それらの楽しみを体感するためには、払わねばいけない「代償」のようなものがあるんだけどね。」

代償、それは結果を生むための努力に対する時間や体力、気力の提供や交換であり、楽しみや喜びが手に入らなかった時の虚無感や敗北感などを経験してしまう可能性に対してのものである。

「No pain,No gain」という言葉がある。「痛みなくしては手に入らない」という意味だ。

喜びや楽しみを手に入れるためには必ず代償が発生するのである。

それをわかった上で喜びを目指さないといけない。クイズであっても。

「だからクイズの勉強は必要だし、それ以外のことにも気を配って進化していかないといけないよ。」

ただここで問題になるのが、僕に質問をしてきた人(そして最近知り合うビギナーの人のほとんど)が学生ではない、アラサーやアラフォーの人だということだ。

仕事や家庭のある彼ら彼女らに、時間や体力の交換までしてクイズの喜びをガイドすることが本当に正しいのかということだ。

つまり、そんな敢えての「修羅の道」を提示するのではなく、「それでいいよ、そのまま楽しめばいいじゃん」で終わらせる方が本当は親切ではないのかということである。

もちろんそんなことは僕の答を聞いた人が判断すればいい話なんだけどね。

僕の周りにいる人は逆にみんなオトナであるわけだから。

もちろんそれは十分に承知はしている。しかしながらそれでもどうしても心配してしまうのである。もうこれは性格なのだ(笑)

今回の質問者には、僕は何か感じるところがあったので敢えて「No pain,No gain」の話をした。

彼はまだクイズを楽しみ始めて1年足らずなのだけど、いい「目」をしていたからだ。

このまま終わらせるのはもったいないな、と僕は思ったからだ。

僕は運がよほどいいのか、周りに集まってくる人に、彼のようにとてもいい目をしている人が多い。

そのうち1人でも2人でもいいから、どうかこのまま上手く育って行って、人生の味付けとなるような、しびれるような喜びや充実感をクイズで手に入れて欲しいと本気で思っている。

ただし代償はきっちりと払わないといけないんだけどね。

なーんて偉そうに言ったりして(笑)

ではまた来週に。

僕はコラムがんばります(笑)




コメント(1)

“クイズの楽しみ” への1件のコメント

  1. まり より:

    長戸先生。ソーダライトにたどり着けて、間に合って良かった!何てラッキーなんだろう!とこの一年ずっと思っています。次回のために、ひと月を過ごすことは、喜びです。

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