2017年9月5日 『28年前日記』その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
若い人は知ってるかな?って書こうと思ったが、だいたいこのコラムを読んでる人が知らないわけがないよなあ。あのディスコっすよ、あれあれ。
そりゃそうだ。部屋にいる2人ともが泥まみれ、というのはこの部屋だけだったから。風呂を詰まらせたら怒られるので、2人とも慎重に慎重に風呂に入った。
僕はバックパックでの南米旅行帰りだったので、部屋で洗濯をしてそのまま干す、という習慣がついていた。トメさんが物色しに来た時、部屋の中では洗濯物が万国旗のようになっていたのである。トメさんは茶色になった下着を見て「ドロンコのパンツが干してある」とコメントしたが、それを寝ぼけて聞いていた僕は、「ンコがついたパンツが干してある」と聞き間違えてしまう。それで「ウンコじゃないですよ。」とコメントしてしまったのだ。そこはバッチリ本放送で流れた。
まだ持ってます。荷物になるのでカバーだけ記念にとってガラは捨てたという人が多かったけど、僕や恒川は最後まで枕そのものを持ち歩いていた。
これ、現在ではともに1位は中国。したがって正解は「×××」となり、僕は28年経ってようやく全問正解者となった。
ようこんなネタを中学生も読むような真面目なクイズ本で書いたなー。関西人しか知らんやろ、このネタは。
藤原拓也さん。トメさんのコメントの原稿などを書いたり、演出に関わったりしていたスタッフで、僕にとって『第13回』のツアーは彼なしに語れない、という人。挑戦者とスタッフが気軽に接触できないツアーにあって、最初から最後まで僕らと一緒にいた人でもある。
僕らと会話するのは、スタッフ側が把握し切れていない挑戦者の情報やネタを仕入れるというのが第一の目的だった。僕はそれをわかった上で毎日さまざまな情報を彼に上げて(これじゃ単なるスパイやんけ(笑))、番組が少しでも面白くなるように手伝った。
そして僕は僕で、藤原さんがスタッフ側からの情報を漏らさないか、口を滑らさないかというのを毎回期待していた。これ、大事なところなんだけど、こういう情報を直接聞くのは野暮なんだよなー。あくまでも「口を滑らせる」という攻防を楽しみたかったのだ。しかし結局彼はただの一度も情報を漏らさなかった。
藤原さんと初めて接触したのはこの正解発表の朝の空港ロビーだ。彼は突然僕に話しかけてきて、ここの演出についての感想を聞いてきた。そこで僕は初めて情報を提供した。僕がこのとき提供したのはトシノリの一連の出来事である。藤原さんはびっくりしていた様子だった。スタッフの筋書きではアベ姉をハメてビックリさせるつもりだったらしいが、こっちは正解の確認をするに決まってるから彼女が落ちるわけがないのでドッキリにはなってない、と説明した。とにかくカメラが狙うならトシノリだった、と言ったら、さすがウルトラのスタッフ、トシノリやジュニアを映しているカメラが1台だけあり、本放送では一瞬ながらそれが使われている。
小林さん、僕の後ろやん。やめてー、そういうの。
それアカンやつや(笑)
現在のロシア。ってこれ読んでる人は知ってるっつーの。
『第13回』のツアー中には3つの流行語があった。1つは前に紹介した「怪情報」。2つ目は、何かちょっとしたミスをした人に対する「残念だなあ」。そして3つ目、ツアー中最大の流行語がこの小林さんのセリフである。何でもそうだが、モノマネはしているうちにだんだん原型を留めなくなって行く。これも最後の方ではおよそ小林さんの顔になってない「えー?、これー?」になっていた。
本放送ではコンボイのところで敗者になった及川が罰ゲームのミニコンボイを見て、「これ?」と言うが、あれはこの小林さんへのオマージュである(ほんまかいな)。ただ、当時流行していたモノマネの正調小林節は、同じコンボイクイズで木村が1抜けした直後の田川さんが言っていた「えー?」である。(あの口で言うのが正調)
小林直樹さん。慶應大クイズ研のOBで、この前年の『第12回』でもアラスカ鉄道まで駒を進めている。
ここまで盛りだくさんなツアーだが、実はまだ2日目の夜だったりする。
僕らも大変だったが、スタッフはもっと大変だったろうと思う。
さてここで我々は針路を南に向けオーストラリアへと向かった。オーストラリアでは航空機を使って大陸をダイナミックに移動する予定だったのだが、何と航空会社のストライキにぶち当たってしまい、陸路での移動を余儀なくされた。
しかし今から考えると、それは全員にクールダウンの時間を与えたのではなかったのだろうか。もちろんクイズ企画を考える演出陣にとっては、チェックポイントの場所から形式から全部ゼロベースで考えなければいけなくなったので、てんやわんやだっただろうが、それ以外のスタッフや挑戦者には心休まる時間が与えられた。
というわけで、そんな怒涛のオーストラリア篇は7日の夜に。

その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)

コメント(2)
写真はオーストラリアやないか。
ようわかるなあ、どんだけ自分好きやねん。
お前の寝坊してる姿がなくてこれしかなかったんよ。