scarletfactory 〜13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人 official HomePage〜
Scarlet Factory~13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人 official HomePage~Scarlet Factory~13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人official HomePage~

コラム 毎週木曜21時更新

2017年9月4日  『28年前日記』その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)




◆ ◆ ◆ ◆ ◆


これは本当だが、ペーパーで落ちた女の子もみんな可愛かったです。
四半世紀経ってフォローができてようやく肩の荷が下りた(笑)

加藤清介さん。「『桃屋の花らっきょ』として親しまれている」、と紹介された方。最近お電話で話す機会があった。もう近ツリは辞められたそうだが、お元気だった。

『創造力』では「稲川ジジイ」となっているが、オリジナル原稿では「稲川のジジイ」である。
5回生でもクイズ研の例会に来ていた大先輩を後輩どもが「このジイさん」とか「ジジイが」とか親しみを込めて(笑)呼んでいたこともあり、シャレで僕は原稿に書いた。しかし情報センター出版の編集の方がいたくこの表現を気に入り、彼女は「稲川ジジイ」と1つのニックネームのように書き改めたのだ。当時も今も稲川さんはニックネーム的には「稲ちゃん」と呼ばれるが、かつてRUQS入会間もない1回生の早乙女弘和が「稲ちゃん、稲ちゃん」と呼ぶのにはさすがにこれは早乙女を躾けるべきかと悩んだことがある。でも面白いからいいや、と放っておいた

それ、よく考えたらチャンピオンへのご褒美やん。たぶんダブルの部屋を1つ取らなければいけないことになって、じゃあここに誰をあてがうか、チャンピオンでいいんじゃないか、って話だったんじゃない?
あ、ひょっとして2人部屋なのに男同士でダブルだったってことか。つまり夜に1人が移動する前提と考えたわけだな。たしかにそれなら合点がいく。しかし男同士でダブルって、いきなり罰ゲームから始まっとるやないかい。チャンピオンなのに(笑)

ドロンコクイズの正式名は「突撃○×ドロンコクイズ」である。

佐藤まゆみさん。13回の綺麗どころの1人。ウルトラクイズではその回の上位進出者だけでグループを結成することがよくあるが、僕らもゴールドコーストで泊まったホテルの名前にちなんで「ラマダクラブ」というのを結成した。ゴールドコーストのホテルなので当然そこまで行ったメンバー24人だけが入れるようだが、実際はクラブにはグアムで落ちた6人の女の子も含まれる。なので同時にドロで落ちたにも拘わらず、稲ちゃんなどにはクラブ結成の話は内緒にされた(笑)

関口聰。あまりにも飛び込み方が鮮やかなので(笑)何度もリプレイされる「ドロカバ」。先日の日テレの特番でも放送されたもんなあ。おいしいなあ。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


青野志津江さん。第13回のヒロインの1人。小室さん、山pに次ぐ年長者だが天然の部分が輝くとても可愛い方。

吉田肯一。何かと面倒見がいい性格で帰国してからの同窓会の幹事を一手に引き受けてくれていた。ウルトラツアーでも自然に吉田の部屋がたまり場となっていた。

『第10回』でグアムまで進出した永田さんは、問題を聞く前に正解を言う、という方法でカメラをゲットした。そのときはご自身で正解がわかっているにも拘らず律儀にも不正解の「○」へ行って負けてしまう。『第13回』でも同じことをして「○」を宣言したが、さすがに今回はちゃんと「×」へ行って正解をした。ただしカメラはゲットできず、本編ではカットされた。

今回のドロンコでは僕の知っている限り2人が自身の就活のために「わざと間違える」を実行していた。つまり、彼らが死んでくれたおかげで僕と長谷は復活することができたわけだ。
しかし「わざと間違える」はある意味、「正解を選ぶ」と同じことなので凄いことではある。

これ、18人が志願順に飛び込むんだけど、僕は最後に飛び込んだ。「トリ」を選んだのは「第13回は僕の大会」と本音で考えていたからである。でもよくよく考えたら、視聴者的にはどこの誰かわからない僕より、チャンピオンの稲ちゃんをトリにする方が自然だよなー。だいたい先輩なんだから、おいしいところは譲れよな、俺。
この逆ドロは本当に気合いが入った。問題を出す前にトメさんはいろいろと話し掛けてくるのだけど、僕はそれを一切無視をして会話を成立させず、瞬きもせずに彼の目を見つめた。(目つきが悪いので「睨んでいた」も正しい)
正解した後、「気合い入ってたねえ」とトメさんが言うのは、これが理由なのである。

長谷昌浩。名大クイズ研。「長谷」は「ながや」と読むのが正しいが、トメさんはしょっちゅう「ハセくん」と呼んでいた。

これは本気泣きをしたねえ。僕にとってはここが最大の山場だった。コンボイでもヤバかったが、ここまで追い込まれてはいなかった。

すんません。どこで泣いたか、きれいさっぱり忘れてしまいました(笑)

僕は機内ペーパーのときからずっと彼女の写真を出していた。しかし本放送で扱われたのは5週目が最初だった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ドロンコクイズが始まる前、太陽が一瞬のぞいたグアムの空を見て思ったことがある。

『ウルトラクイズ』は毎年8月にドーム予選が開催されるのだが、参加したほとんどの人がそこで敗者となってしまう。僕も『第8回』から出場しているが『第12回』までことごとくそこで敗退していた。
1年かけてワクワクして待って「8月」は来るが、いつもそれはその日のうちに終わってしまうのである。

でもこの年は違っていた。『ウルトラクイズ』はまだ終わっていなかったのだ。
日本では秋の気配が感じられる9月、グアムという異国の地で僕はあの暑い朝の東京ドーム前の気候を思い出していた。
そのとき思わず漏らした一言が、「夏が続いている」だった。

常勝校でない高校の野球部が地方大会を突破して夏の甲子園に出場した時、おそらくそのチームの選手たち、とりわけ3年生たちは同じことを感じているに違いない。
いつもは7月中に終わってしまう野球が8月になってもまだ続いている、そのこと自体の凄さを感じているはずなのだ。

僕はあの一瞬現れた太陽を見て、そんなことを思わずにはいられなかった。

というわけで、この続きは明日の夜に。
なぜかまだまだグアム篇は続く。

その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)




コメント(2)

“『28年前日記』その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)” への2件のフィードバック

  1. あきとし より:

    今日の日記は長戸勇人らしくなく、キレイにまとまっとるやないか。
    まあ、そういう日があってもいいわな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です