scarletfactory 〜13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人 official HomePage〜
Scarlet Factory~13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人 official HomePage~Scarlet Factory~13th.UltraQuiz Champion 長戸勇人official HomePage~

コラム 毎週木曜21時更新

2017年9月29日  『28年前日記』その17 :決勝 ニューヨーク(1989年9月29日)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 RUQSの窓口になっていた後輩の関口
グアムで泥に飛び込んだ東大の関口とは何の関係もない。僕が3回生の時の1回生で、『アタック25 100人の大サバイバル』にも出場している。
※2 僕は身震いを抑えられなかった
寒かったのだ。だって9月末のニューヨーク、しかも吹きっさらしの川のド真ん中でパジャマ1枚て。
※3 「初心に戻って自然体で行きます。」
放送を見ると、あまりに寒くて噛んでいるのがわかる。
※4 「僕です。」
これ、下の船室では、トメさんに「誰ですか?」と聞かれたら、永田さんが「ながちゃんです。」、で僕も「誰ですか?」と聞かれたら「ながちゃんです。」と言ってケムに巻こうという話をしていた。だからもし永田さんが先に「ながちゃんです。」と言ったら、僕もそれに追随するつもりではいた。(言えるかーい)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※5 ボタンの硬さはどんなものか
いわゆる「押し込み」がどこまでできるか、ということの確認である。
※6 フォームを使いこなせる位置に座っているのか
右手の肘を伸ばすためには椅子の右半分を少し後ろにズラす必要があった。もし椅子が固定なら(これが知りたかった)、体そのものを半身にする必要があったのだ。
※7 初球をわざとバックネットに向けて投げた、と同じ効果があったのである
野球マニアという感じのネタをブッコんでいる。『創造力』では残念ながらカット。
※8 不調のズンドコ、もとい、ドンゾコなのだ
こういうのはカットされても致し方ない。
※9 6問連続でスルー
「スルー」とは解答者の誰も押さなかった問題のこと。
※10 もちろんターゲットはその子、1人である
本番中です(笑)
※11 とんでもない展開になっていた
永田さんがなかなか本調子にならないので復調するまではと、最初の方では僕も指を遅くしていた。しかしちょっとダラダラした展開になってトメさんも不満そうな顔をし始めてきたので、「永田さん、ごめん、行くわ」と心の中で言い、僕は一気に加速した。(僕がそう思ったのは永田さんもわかったらしい)
※12 「落語の『時そば』。本 / 」
「時そばちゃうで、時うどんやでー」と思いながら押した。
※13 僕が作った問題集『栄光への脱出』
当時、RUQSのメンバーだけに配っていた、早押し養成ギプス的なクイズ問題集のこと。ボルチモアで永田さんが「山口素堂」の問題をいいポイントで押して、「えーっと、えーっと」と考えていたのは、この問題(「目には青葉、山ほととぎす、初鰹」の作者)もこの問題集にあったからである。そしてこれらは『クイズは創造力 問題集篇』の元ネタの1つとなった。
※14 まさかこの会話が後で生きてくるとは
だからこの問題に限っては僕は永田さんの方に向かって正解を叫んでいる。
※15 「A型肝炎にかかっているけどどうする?」
よく考えると、何でバレてるの?なのだが、そういや前夜の会食で僕はトメさんにとうとう白状したのだった。知ってたよ。と言われて僕はとても驚いたのだった。えー?これー?
※16 パジャマ1枚の僕には少し寒かった
少しどころではなかった。
※17 はい、これ僕の住所
サイテーやな(笑)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※18 さあ君は何問できるか?!
このあと問題が何問か記されているのだが、そんなもん、著作権などの兼ね合いがあって本には掲載できるわけがなかったのだった。当然ここでも書けない。幻のコーナーということにしておこう。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

決戦が始まる前のトメさんのインタビュー、
「どうしてこれまで2人は1対1の対決をしなかったのですか?」
に、永田さんは
「神様が取っておいてくれたのだと思います。」
と答えている。
僕もこれには激しく同意していた。

ボルチモアの日記にも書いたが、永田さんは本格的なクイズキャリアがそんなに長くなかったため、一気に頂上まで上り詰めたという雰囲気があった。
同じ関西、同じサークルで活動していた僕はそれをずっと間近で見ていて、驚きの連続だったのを憶えている。

この頃は僕もまだクイズにギラギラしていていろんなサークルにクイズをしに行っていたのだけど(まだ「オープン大会」という文化がなかった時代である)、僕と永田さんで決勝という組み合わせは全然実現せず、RUQS関係でも永田さんが主催すると僕は決勝に行き、僕が主催すると確実に永田さんが勝つようになっていた。
そのうちお互い、サシ(1対1)でやったらどうなるんやろね、と語り合うようになっていたのだ。
それほどまでに、たとえプライベートな徹夜クイズでさえも、ついにその状況は生まれなかったのである。

僕が南米から戻って来て『第13回』に出場したとき、東京ドームの段階で僕は優勝すると感じたし、同時に永田さんは僕の優勝を見届けるためにニューヨークに行く、と思ったそうである。
だから僕らの中では「初めてのサシはニューヨークでできる」、という確約ができた感じがしていたのだ。

僕は永田さんとツアーで同部屋になったときに、そのことを話した。
そしてそこで、これまで1対1を実現できなかったのは神様が取っていてくれたんやろな、ということで意見が一致したのだ。

決勝に秋利が来れば僕のネタは完成する、と前回書いたが、大きなくくりで「座り」がよかったのは、やはり相手が永田さんだったパターンだったんだろうな、と感じる。

僕にとってはRUQSの先輩である稲ちゃん、佐原さん、瀬間さん、そして永田さんの4人は特別な存在で、本当に兄貴のように思っているのだ。出来のいい悪いは別として(笑)
だから永田さんとニューヨークで対決をしたことは、そのこと自体も感慨深いのだけど、それ以前に、一緒にニューヨークに行けたことの方が何倍も嬉しく、その満足も得られていたのだった。

そういえば、これを書かないといけない。
今までどこにも書いていない、僕にとってのニューヨーク決勝の最高のシーンの話である。

「女神とマルタとどっちが綺麗だ?」
で、トメさんの質問は終わった。トメさんは僕から離れたが、それでもなおカメラは回っていた。
僕はずっと席に座ったままの永田さんの方へ行き、さっきまで座っていた自分の早押し席へと着いた。
まだカメラは回り続けている。当然ながらトメさんを含むスタッフ全員が僕らの行動を注視している。

そこで僕は永田さんと話を始めたのだった。
「お疲れさまでした。」
「ありがとうございました。」
「おめでとう。」
に始まって、この決勝のこと、今回のツアーのことなど、さまざまなことを話した。
筋書きが全くない、でも放送には絶対に耐えうる自信があった、2人だけの感想戦だ。

星空の下、突き刺すような肌寒さの中、場所は紛れもない「プリンセス号」の上である。僕ら2人だけにすべてが与えられ、それを僕ら以外の全員が固唾を飲んで見守っている。

こここそが僕にとっての『第13回』のハイライトシーンだった。

あまりに長く話したので内容がカットされるのは覚悟していた。だから僕は永田さんの顔と、時折スタッフの顔を見ながら、このすべてのシーンを記憶してやろうと思った。

話に一段落がついた後、僕らは顔を見合わせて少し黙った。そして一瞬の間。
「カーット!」の掛け声が上がったのはその直後だった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

10ポイント先取のクイズは人生を映してくれると思っている。
このクイズに勝つためには10個の正解を出す必要があるのだが、その10のネタを自分がどの時点で知ったのか、それを思い返すととても興味深いからだ。

僕はかねてより「10個の正解を人生の数直線上に記してみればいい」と言っていた。たとえばこのニューヨーク決戦で僕が答えた問題でいえば、「PPP」は1985年、「ハンカチ」は1987年だし、「衝」は受験勉強をしていた地学の問題だから1983年、「16文」は落研時代に聞いた噺からだから1981年、という具合である。
数直線上を点は自在に動く。クイズは時空を飛び越えて自分の人生の一部分をえぐってくるのである。

この面白さがクイズの醍醐味の1つで、クイズは自分の人生が投影されるものなのだ、とう僕の説の根拠の1つとなっていた。

ところでこの面白さ、どこかで具体的な映像として目にした人も少なくないだろう。そう、映画『スラムドッグ・ミリオネア』だ。
この物語(実話らしいが)の主人公は『クイズ・ミリオネア』の15の問題に、自分の人生のエピソードをもとにして次々と正解を出していくのである。
この映画を初めて見たとき、「そうそう、これこれ」と思った反面、「やられたー」とも思った。しまったー、『創造力』でここのところをもう少しちゃんと書いておけばよかったーって(笑)

当然ながら10代よりも20代、20代よりも30代、という風に年齢が上がって行くにつれてこの面白さはリアルに感じることができる。クイズのまた別の楽しみ方の1つと考えてもらえれば嬉しい。

というわけで、次は『創造力』ではほとんどカットとなっているオークランド篇。
10月1日の夜に。



優勝後に撮った1枚。左に写っているのは、このツアーでむちゃくちゃお世話になった、構成作家の藤原さん。




コメント(4)

“『28年前日記』その17 :決勝 ニューヨーク(1989年9月29日)” への4件のフィードバック

  1. あきとし より:

    いや~、ええなぁー。
    羨ましいわ。
    しゃーない。
    私、負けましたわ、やし。

    • Nagato より:

      竹藪も焼けるし、たい焼きも焼いたし。
      ニューヨークはニューヨークでよかったで。

  2. ゆかり より:

    2問目の正答は「秒」でしたね。
    私も長戸さんにファンレターをお送りした
    学生の1人です。

    受験生でしたが、卒業まで毎日塾から帰って
    ウルトラクイズのビデオを見てから
    1日を終えるのが当時の私の日課でした。

    こんな裏話があったのですね。
    当時の記憶が一気に蘇り
    楽しく拝見させて頂きました。
    ありがとうございました。

    • Nagato より:

      メッセージありがとうございます。

      2問目の正解は「秒」ですね。本文で書いてませんでした。ごめんねー。
      28年前はお手紙もくれたみたいでありがとう。受験は上手く行ったのかな。僕もそうでしたが追い込みの大事な時期にウルトラはやってくるので大変でしたよね。

      最後まで読んでくれてどうもありがとう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です