2017年9月22日 『28年前日記』その13:第11チェックポイント ツインレークス (1989年9月22日)
※1 こんなところでトマトに登場されても手も足も出ないのである
ずっと食べられなかったトマトだが、最近ようやく食べられるようになり、今では普通に食べてしまっている。大人になるのはこういうことなのか、と何か大事なものを失くしたような感じがして寂しい。
※2 このツインレークスでのクイズは、何をどうするか全然わからないけど
そこが大事やん。
※3 おおよそクイズの勝負中に敵同士でする話ではなかった
「中国の政治機関で日本の内閣に相当するものを何という?」という問題でも僕らは雑談をした。「全人代なら知ってるんだけどなー」とか僕も言っていた。
しばらくして塹壕を脱出した僕はボタンを押し、そして答えた。「全人代!」。当然ブザーが鳴る。誤答だ。ただこのクイズでの誤答の扱いは「トマトをぶつけられながら戻る」だったので実は何もマイナスにはならなかった。とにかく一度ひたすらぶつけられる、ということをやってみたかっただけなのだ。
あわよくば放送されたらいいかなー、とも思っていた。ついカメラを欲しがってしまうのである(笑)
※4 埼玉大学クイズ研のウルトラV2
『第9回』優勝の金子孝雄さんが埼玉大クイズ研OBである。
※5 こんなクイズをさせてもらって本当に僕らは幸せ者です
僕のクイズ人生で、やっぱり歴代ダントツの1位だなー。
※6 そうなったら僕の優勝もなかったかも知れないのである
んなわけない(笑)
ところでこのツインレークスでの放送では、トマトを投げる軍団の一人が両手で大きな丸を描いているのが確認できる。
現地にいた人以外はこのサインが何のこっちゃわからないと思うのでそれを解説してみよう。
実はあの「丸」は僕を指しているのである。「丸」ではあるが「マルタ」とは何の関係もない。
このゲーム中何度もトメさんは遠くの出題席から「長戸大丈夫かー?」って聞いて来た。本当に何度も。僕はその都度「大丈夫でーす」という意味で両手で丸を作ってサインを送っていたのだ。
トマト軍団へのスタッフからの指示は「元気な奴を狙え」だったらしく、だから彼らは僕を狙って来た。「あの丸の奴」を集中攻撃していたのだ。
たしかに高地にあるツインレークスでは及川を始め、ほかの何人もが酸素マスクで酸素を補給していた。しかし僕はそれを一度もしなかった。なぜなら何ともなかったからだ。このクイズの数ヶ月前、ツインレークスほどの標高の高さにあるペルーのクスコやエクアドルのキトなどに滞在していたがその時も別に息苦しいとは感じずにいた。たぶんそういう体質なのだろう。つまりツインレークスの環境に最も馴染んでいたのは僕だったのである。
しかしながらトメさんは終始僕のことだけを気にかけてくれていた。これが理解できなかった。ちゃんと考えれば仮説は立ったんだろうけど、そんなことよりもクイズに夢中だったので(面白かったんだよー、トマト戦争。見ているよりもやってる方が数万倍面白いの)、ヘンだなというぐらいで気にはかけなかった。
さてここからが今日の本題である。
ツインレークスから遡ることちょうど20日。9月2日の出来事だ。
これは僕が日本に帰ってからスタッフと飲みに行った時に聞いた話である。
A型肝炎に罹って入院した僕はギリギリで病院を抜け出した。あくまでも正規の手続きで退院したんだけど、あの状況はスタッフ側からしてみたら十分グレーゾーンだったのだ。
当然それは僕にもわかっていた。だから絶対に肝炎の話はしないでおこうと決めていた。事実、過去のウルトラではアメリカ大陸に上陸していながら病気を理由に日本に強制送還された挑戦者がいたからだ。そうなっては元も子もないのである。何のためにわざわざ南米から帰ってきたのか。
僕はツアーのメンバーにも口止めをし、協力を仰ぎ、ひた隠しに隠した。クイーンズタウンの宴会で「飲まないのか?」とトメさんに言われても「優勝するまでは酒は飲みません」と我ながら上手い言い訳を咄嗟に思いついてアルコールを避けていた。
そしてこのツインレークスでも僕は頭からそれを信じていた。病気の件は絶対にバレていないと。
しかしスタッフはかなり早い段階で僕がA型肝炎を患い、しかも完全に治っていないうちにクイズに参加している、という情報を正確に把握していたのである。
彼らがそのことを知ったのは成田空港だった。
ジャンケンに勝った挑戦者が進む通路には公衆電話が並んでいる。多くの人がここで日本にいる家族や友人、仕事の同僚などに連絡をする。
回によって放送する時としない時があるものの当然ここにはスタッフがカメラを持って待機しているのだ。
さてここに登場したのが『第12回』と『第13回』で連続して成田までやって来た小林直樹さん(エーッ!)。彼はここで電話をした。そしてその相手がたまたまお医者さんだったのだ。そこで彼は何と、「長戸がA型肝炎みたいなんですけど、うつりますか?」などと喋ったのである!(笑)
回答は当然「うつらないよ」で彼は安心したんだけど、びっくりしたのはそれを聞いてしまったスタッフの方だった。こっちはこっちでドクターにどうなの、と聞いたとのこと。
ちょっとした会議の結果、長戸に関してはケアはするがとりあえずはドクターストップはかけずにクイズを続けさせてみよう、ということになった。
だから実は日本を出る最初から、僕の健康はずっとスタッフの監視下にあり(笑)、無茶なことをして倒れてしまわないように注意がなされていたのである。
一方僕はそんなこととはつゆ知らず(笑)、病気は絶対にバレていないと思いながら過ごしていたのだ。アホ満開やん。
そして逆にスタッフは僕にバレてることをバレないように過ごしていたのだ。
まさに「永田さんの復活」と「ニュージーランド行き」を黙っていた僕のやり口と同じなのである。
ウルトラクイズはスタッフとの戦いでもある。『第13回』ではまさにこんな感じで騙し合いが繰り広げられていたのだ。
というわけで、次のチムニーロック篇は24日の夜に。

Wコアラ。(東京の売れない漫才コンビの名前みたいやな)
その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)
その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)
その10:第8チェックポイント クイーンズタウン(1989年9月16日)
その11:第9チェックポイント ショットオーバー(1989年9月17日)
その12:第10チェックポイント ロサンゼルス(1989年9月20日)
その13:第11チェックポイント ツインレークス (1989年9月22日)

コメント(6)
ここのクイズはおもろかったなあ。
名物のグアムの泥とは違って、希少性からいうとこっちがずいぶん上だよな、たしかに。
あんな体験できもんなあ。
クイズはオーストラリアがカンタスのストの影響でイマイチやったけど、その後はかなりええ感じやったよね。
ところで、あの日、オレは寝坊して、同室の永田さんに「朝飯トマト1個やで」と言われ、「ほな、もう食わんでもええわ」と流しただけやった。支度するのに精一杯やったから。
飲み過ぎはいかんねえ。気をつけようっと。
by飲み屋の常連
あ、そうか、永田さんは秋利と同室か。
だったら「隣の笑い声」の主は永田さんやな。
はじめまして。当方福岡に住む自他共に認めるウルトラマニアですw。地元でクイズをしてまして、RUQSOBの方とも何人かは面識があります。
永田さんが書かれた本の中でも長戸さんのトマト嫌いは触れられていましたが、克服されていたのは知りませんでした。失礼な話ですが、確かに惜しいような気もしますww。
長戸さんをはじめとするウルトラに参加された皆さんの話、本当に面白いです。今後も楽しみにしています。
メッセージありがとうございます。
トマトはね、もう食べられるの。
オトナになったのさ。
初めてウチに来てもらった翌朝、トマトとチーズがたっぷり乗ったピザトーストを喰わせる、という拷問状態を味わわせちゃったのを思い出してしまった(^_^;)
なつかしいな。昔、木更津の家の風呂を危うく火事にさせかけたことも憶えているよ(笑)