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コラム 毎週木曜21時更新

2017年9月20日  『28年前日記』その12:第10チェックポイント ロサンゼルス (1989年9月20日)


チャイニーズシアター前にて。
これはマリリン・モンローの手形とハイヒールの形。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※1 到着時刻は現地時間で9月19日17時8分
日付変更線を突破したので日付が1日戻っている。この日付変更線の通過が、後にある男に悲劇をもたらすことになる。
※2 面胴臭い、もとい、面倒臭い
ウルトラクイズファンにしか通じない細かいギャグを書いている。
※3 別に僕は行きたくはなかったんだけど、一緒に行った4人(ター兄ぃ、永田さん、秋利、及川)がどうしてもというのでついて行っただけなのである
すんません、ウソついてました。
※4 しかし「ちぎっても錦」
「敗れても小袖」といういい方もあるのを知ったのはこの1週間半後のことだった。
※5 狭く真っ暗な場内をぐるぐる回る照明が時折4人の顔を確認させてくれる。これが僕にはたまらなく愉快だった
だったら僕の顔も他の4人から見えてたということじゃねえか。
※6 ウルトラではクイズの戦いの直後、勝者と敗者は完全に隔離される
昔のウルトラでは必ずしもそうではなかった。たとえば第3回のサンアントニオでは勝者、敗者が入り混じって「感想戦」をしていた。そういうのも悪くないなあ。
※7 誰一人『バットマン』を見ておらず
これは映画の話ではなく、テレビ番組の『バットマン』。なぜなら映画はこのときアメリカで封切されたばっかりで日本ではまだ上映されていなかったからだ。
※8 秋利のタコは「あ、双子だ、双子だ〜。」と抜かしていたが
ちゃんと放送されていた。恥ずかしいのう。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

※9 周囲のリズムをグチャグチャにして行くプレースタイルのニックネームになってしまっていた
ちなみに永田さんほどではないにしろ、やはり早押しをしてしまう僕はヒューゴが発生するまで今世紀最大と言われていたハリケーンの名前から「ギルバート長戸」、そしてここで永田さんに完全にリズムを狂わされた秋利を、ヒューゴが襲って壊滅的な状態になった都市の名前から「チャールストン秋利」と呼んでいた。
※10 それにあんなに楽しみにしていた誕生日もあと2日でやって来るというのに…
これが悲劇だった。この日に負けた恒川は誕生日の前日である翌9月21日にロサンゼルスを出発した。しかし日付変更線をヘンな時間に通過してしまったために、成田に到着したときは日本時間で9月23日になっていた。誕生日をどこで祝うとかそれ以前に、この年は彼の誕生日は存在しなかった。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

オリジナル原稿にもある通り、ロサンゼルスぐらいまで来るともう観光もへったくれもないようになっていた。面白いのがそれと比例して減っていくのが写真の数である。今回のコラムではなるべく現地の写真を載せているのだが、ここらあたりから怪しくなって来る。
今後、全然違う場所の写真を載せることになると思うので先に謝っておきます。すんません。


LAの写真がないので、いきなり昔のものを。
HPにパジャマの写真を載せて、というリクエストがあったのでこれを。チャイナドレス風のパジャマの志津姉と。無理言って一緒に撮ってもらいました。しかし志津姉、キレイだよねー。

そういやこの原稿読んで思ったのだが、最後まで「30・ユニフォーム」と「31・サバイバル」の謎解きが書かれていない(笑) どうするつもりだったんだろ。どこかのコラムにでも書いたのだろうか。
とりあえずここでこの2つの言葉の正解を書いてみよう。
まず「30・ユニフォーム」から。
これはスポーツのユニフォームと思いがちだが(それは僕だけ?)、実は雨天のときにカメラや機材にかける雨除けのレインコートのようなものだった。そんなこと知るか!
そしてみんなをずっと最後までビクビクさせていた「31・サバイバル」。このジュラルミンケースの中に入っていたものは何か。
何と、「おにぎり」だったのだ。つまり日本食のセットだったのである。
「サバイバル」。この言葉が、どんだけ僕らを疑心暗鬼にさせたか。その答がおにぎりて。
これ、あかんやつや。

というわけで、次のツインレークス篇は22日の夜に。

その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)
その9:第7チェックポイント シドニー (1989年9月14日)
その10:第8チェックポイント クイーンズタウン(1989年9月16日)
その11:第9チェックポイント ショットオーバー(1989年9月17日)
その12:第10チェックポイント ロサンゼルス (1989年9月20日)




コメント(7)

“『28年前日記』その12:第10チェックポイント ロサンゼルス (1989年9月20日)” への7件のフィードバック

  1. うさぎ より:

    連日、未公開の写真に胸躍らせています。
    志津姉さんはわたしも大ファンでした。
    しかし、、、ほんとに長戸さんかっこいい・・・
    オールブラックスの写真も本当、素敵です。
    太ももの筋肉がスポーツマンらしくて、表情もさわやかで、もぅだいすきです!

    わたしも神奈川です!いつかイベントなどなさる時は参加してみたいですね。

    • Nagato より:

      メッセージありがとうございます。

      写真、志津姉は実物もホントに綺麗だったよ。

      ぜひ神奈川でイベントをするときはいらしてください。お待ちしています。

  2. ヒューゴ永田 より:

    その節は(も)大変ご迷惑お掛けしました m(_ _)m
    当時は(も)「キーワードで答えをひとつ思いついたら、取りあえず押す」“クイズ猿”状態でして…

    “健全”で安全なオーストラリアに比べて、
    「アメリカは危険だから」
    1.単独行動はしない
    2.よるは外出しない
    3.ネームプレートは常に付ける
    とスタッフさんから釘を刺されたんだっけ?
    俺らはグレムリンかよっ‼︎

    ストリップは確か舞台の
    ・下手かぶりつきに、長戸・及川
    ・上手かぶりつきに、田川・秋利
    に居てたような。
    ボクは慎ましく、中央最後方から低目の見物してたけど
    踊り子さんのエリザベート(仮名)が近くまで来て…(以下検閲

    PS. 静姐の写真、載せて良いんだったらグァムで撮ったのを挙げても良いのかな?

    • Nagato より:

      そう、僕は下手に陣取ったんです。秋利はずっとライトが当たっていて、(以下個人情報)

      ネームプレートは義務化されてましたね。たしかに。

  3. あきとし より:

    思うに、この日記を読んでいる人たちは、ストリップ小屋に行こうと先導したのがお前だと言うことは、今更言うまでもなく、薄々バレてると思うよ。(^^)
    それにつけても、小屋の前で日本人観光客に遭遇するなんて思ってなかったし、あれは小っ恥ずかしかったなぁー。
    「みんな~、ニューヨークで行きたいか〜」ってか。

    • Nagato より:

      なつかしいなー。

      「ニューヨークで、イキたいかー!」
      「どんなことをして、ニューヨークでイキたいかー!」
      とか言ってたもんなあ(笑)

  4. ヒューゴ永田 より:

    ↑志津姉の漢字を間違えました。この場を借りて
    お詫びしますm(_ _)m

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