2017年9月20日 『28年前日記』その12:第10チェックポイント ショットオーバー (1989年9月20日)

チャイニーズシアター前にて。
これはマリリン・モンローの手形とハイヒールの形。
※1 到着時刻は現地時間で9月19日17時8分
日付変更線を突破したので日付が1日戻っている。この日付変更線の通過が、後にある男に悲劇をもたらすことになる。
※2 面胴臭い、もとい、面倒臭い
ウルトラクイズファンにしか通じない細かいギャグを書いている。
※3 別に僕は行きたくはなかったんだけど、一緒に行った4人(ター兄ぃ、永田さん、秋利、及川)がどうしてもというのでついて行っただけなのである
すんません、ウソついてました。
※4 しかし「ちぎっても錦」
「敗れても小袖」といういい方もあるのを知ったのはこの1週間半後のことだった。
※5 狭く真っ暗な場内をぐるぐる回る照明が時折4人の顔を確認させてくれる。これが僕にはたまらなく愉快だった
だったら僕の顔も他の4人から見えてたということじゃねえか。
※6 ウルトラではクイズの戦いの直後、勝者と敗者は完全に隔離される
昔のウルトラでは必ずしもそうではなかった。たとえば第3回のサンアントニオでは勝者、敗者が入り混じって「感想戦」をしていた。そういうのも悪くないなあ。
※7 誰一人『バットマン』を見ておらず
これは映画の話ではなく、テレビ番組の『バットマン』。なぜなら映画はこのときアメリカで封切されたばっかりで日本ではまだ上映されていなかったからだ。
※8 秋利のタコは「あ、双子だ、双子だ〜。」と抜かしていたが
ちゃんと放送されていた。恥ずかしいのう。
※9 周囲のリズムをグチャグチャにして行くプレースタイルのニックネームになってしまっていた
ちなみに永田さんほどではないにしろ、やはり早押しをしてしまう僕はヒューゴが発生するまで今世紀最大と言われていたハリケーンの名前から「ギルバート長戸」、そしてここで永田さんに完全にリズムを狂わされた秋利を、ヒューゴが襲って壊滅的な状態になった都市の名前から「チャールストン秋利」と呼んでいた。
※10 それにあんなに楽しみにしていた誕生日もあと2日でやって来るというのに…
これが悲劇だった。この日に負けた恒川は誕生日の前日である翌9月21日にロサンゼルスを出発した。しかし日付変更線をヘンな時間に通過してしまったために、成田に到着したときは日本時間で9月23日になっていた。誕生日をどこで祝うとかそれ以前に、この年は彼の誕生日は存在しなかった。
オリジナル原稿にもある通り、ロサンゼルスぐらいまで来るともう観光もへったくれもないようになっていた。面白いのがそれと比例して減っていくのが写真の数である。今回のコラムではなるべく現地の写真を載せているのだが、ここらあたりから怪しくなって来る。
今後、全然違う場所の写真を載せることになると思うので先に謝っておきます。すんません。

LAの写真がないので、いきなり昔のものを。
HPにパジャマの写真を載せて、というリクエストがあったのでこれを。チャイナドレス風のパジャマの志津姉と。無理言って一緒に撮ってもらいました。しかし志津姉、キレイだよねー。
そういやこの原稿読んで思ったのだが、最後まで「30・ユニフォーム」と「31・サバイバル」の謎解きが書かれていない(笑) どうするつもりだったんだろ。どこかのコラムにでも書いたのだろうか。
とりあえずここでこの2つの言葉の正解を書いてみよう。
まず「30・ユニフォーム」から。
これはスポーツのユニフォームと思いがちだが(それは僕だけ?)、実は雨天のときにカメラや機材にかける雨除けのレインコートのようなものだった。そんなこと知るか!
そしてみんなをずっと最後までビクビクさせていた「31・サバイバル」。このジュラルミンケースの中に入っていたものは何か。
何と、「おにぎり」だったのだ。つまり日本食のセットだったのである。
「サバイバル」。この言葉が、どんだけ僕らを疑心暗鬼にさせたか。その答がおにぎりて。
これ、あかんやつや。
というわけで、次のツインレークス篇は22日の夜に。

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