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コラム 毎週木曜21時更新

2017年9月2日  『28年前日記』その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)

いよいよツアーがスタートする。

と、その前に。
まずはここでお願いを。

『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』で成田までたどり着いた、僕以外の103人のみなさん(とスタッフのみなさん)。それぞれのチェックポイントではこんなことがあったよ、こんなことを考えていたよ、みたいな話があったら僕の方まで書いて送ってください。
掲載が間に合えばそのチェックポイントのゴシック文字の部分で可能な限り触れさせていただきます。
あ、自分が負けた後のチェックポイントでの話はナシね。第三者的な立場のものはご法度です。
もし掲載に間に合わなかったり、そういや僕にはこういうことが、みたいに僕の文章を読んで思い出したことなどは、該当チェックポイントの「日記」にフォローとして入れておきます。
「feedback」から、第13回のエントリー番号と名前を明記してネタを書いて送ってください。1人何ネタでも構いません。
僕と知り合いの方はメールでも電話でも伝書鳩でも何でも結構です。
ぜひ一緒に話を分厚くしていきましょう。

あと、13回のみなさん、名前と写真を勝手に掲載することがあります。許してね。
使うのはもちろん当時のスナップ写真なので限られた人になりますが、もし写真はNGなのー、という人がいたら僕に連絡してください。よろしくお願いします。

では再開。

どうにかこうにか日本に帰って来てドーム予選に参加した僕は、激戦をヘロヘロで突破した。
しかし安心するのも束の間、「病院」という国内第二次予選地にA型肝炎という罰ゲームとともに強制送還ならぬ強制収容されてしまう(笑)

8月の後半2週間、僕はベッドの上で過ごすことを余儀なくされたが、成田予選を3日後に控えた8月31日、半ば強引に退院する。そしてその日のうちに荷物をまとめて京都を後にした。

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佐原恵一さん。RUQSの偉大な先輩の1人で『アタック25』でパーフェクトを達成した人。RUQS第2代会長でもある。

瀬間康仁さん。RUQSの偉大な先輩の1人で、『第12回アメリカ横断ウルトラクイズ』の優勝者。RUQS第4代会長でもある。

ウルトラクイズでは成田空港は「出発地」ではなくあくまでも「解散地」である。
ジャンケンに出場する全員はまず前日に麹町の日本テレビに集合し、そこから成田エアポートレストハウスに向かうのだ。

四谷にあったパチンコ屋。ってそんな情報はいらんか。

僕が入院している2週間の間、実にたくさんの人が見舞いに訪れてくれた。
当初は僕も「辞退だろうなあ」と本気で言っていたので、その頃に来てくれた人は「どうもダメらしい」と言っていたみたい。そこ発信の情報が独り歩きしていたのである。

『第13回』ではそれをやらなかったので困ったのだった。

正木は同世代でしかも同じ関西人ということで最初から意気投合した。『第13回』でできた僕の最初の友人ということになる。

これねー、やられたと思ったことがあったのよ。
放送後にもらったファンレターの中に、ここを突いてきた女の子がいて、「起きたまま、と仰ってましたが全然シワになってなかったですね」と書いてきた。
よく見てるなー、と思った。すごいねー。

今回、この原稿を読み直してみて、やたらに「怪情報」という言葉を使ってるなあ、と思ったのだけど、そういや『第13回』のツアー中は、この「怪情報」が流行語だったのだった。
今回のウルトラツアーでは、「到着地がニューヨーク」ということ以外の情報は我々挑戦者にはほとんど知らされず、ひょっとしたらその「決勝はニューヨーク」ですら疑ってかからないといけない状況だった。
情報がない我々はあらゆる方法や些細なヒントから「予測」をすることを始めた。最初は「明日がドロンコやで」みたいな他愛もないものだったのだが、そのうち「ゴールドコーストは実はアフリカのガーナ」とか「このあとジャングルに放たれる」とか、みんないろんなことを言いだした。当然半分は笑かしのネタとして。
これらネタ情報に加えて正しい情報を捻じ曲げて解釈したもの(たとえば「次はモーリー」って正式発表しているのに「あれは森の中で迷子にさせるっていう意味だ」みたいな)を総合して「怪情報」と呼んでいたのだった。

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「成田のジャンケン」では僕は全くアガってなかったんだけど、実は他のみんなも想像以上に緊張していなかったんではないだろうか。

その理由を考えたら、「景色」にあるのではないかという結論に達した。

つまり、普通テレビでみる「成田のジャンケン」の風景は、トメさんの前にランプがあって、さらにその手前にジャンケンの2人がいる。そしてトメさんの後ろにはアメリカ大統領の支持者のように挑戦者が対戦を見ている、といったものだろう。

もしこの朝、見慣れたそんな風景を目にしていたらいろんな思いが湧いてきてドキドキしたのかも知れない。しかしながら実際には我々は始終トメさんのケツを見ていただけで(笑)、ジャンケン自体も遠くでやってるなーって感じがしていた。
さらに、これが大きいんだけど、ジャンケンの対戦の向こうにはスタッフが雑然としていて、そのバックがガラス張りでむちゃくちゃ明るいのだ。
つまり僕らは全てを逆光の状態で見させられていたのだった。

結論として、成田での出来事は「逆光でよくわからなかった」が正解なのである(笑)
寝起きでもあるので、これでは緊張もしないだろう。

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稲川良夫さん。RUQS創始者にして初代会長。『第11回アメリカ横断ウルトラクイズ』の優勝者でもある。先輩として偉大だったかどうかはまた別の話(笑)

誰やお前。

元東大クイズ研。『アタック25』年間戦でのパーフェクト達成など数々の金字塔を打ち立てたクイズ女王。実は僕のデビュー戦である『アップダウンクイズ新高校生大会』に出場していた。人生で初めてとなるクイズを通じて知り合った友人の1人。

羽賀政勝さん。敬愛するクイズの先輩。当時旅行代理店にお勤めで、僕の南米旅行ではむちゃくちゃ世話をかけてしまった。もし2人ともジャンケンに負けたら一緒に旅行にでも行こうか、と話していた。ジャンケンでは田川さんに敗北。

仲野隆也。名古屋大学クイズ研OB。当時行われていた「学生クイズ日本一決定戦」、通称「マンオブザイヤー」の86年のチャンピオン。(ちなみに僕は88年のチャンピオン) 初参加の85年と86年の2年連続で予選3択の1位を獲得。

ドームを突破すると勝者は全員ドーム近くのビル(黄色いビル)で説明会を受ける。
その時に書かされるのがこのアンケート。ちなみにこの直前に全員に配られるのがいわゆる「勝者弁当」で、もしも現代ならみんなこぞってSNSに写真をアップしているだろうと思われるシロモノである。

パン好き。

1988年12月に収録、翌年1月に放送。「アタック25 700回記念」の一環での特番だった。我がRUQSと早稲田、東大、法政のクイズ研各25人による一大バトルで、当時現役バリバリだったメンバーが多数登場している。『第13回』のメンバーも多くいて、僕や永田さんだけでなく及川も参戦している。パン好きの鰐渕もしっかり映っている。

説明、いる?

谷中光寿。RUQSの仲間で同い年ながら大学では1つ先輩。RUQSが誇る偉大なる問題読み。ドーム予選での「たまげた」のワナに引っかからなかった7人のうちの1人。

グアムの砂浜でドロンコの待ち時間の間にツーショットでチャラけたポーズを決めている写真がある。そういや、「一緒に写真を撮って」ってお願いされたのだった。
つまりその後、何百回と言われるセリフを最初に言ってくれたのが香ちゃんだったということになる。

早稲田のクイズ研出身。この2年前の年末の「マンオブザイヤー」のときにステージ上で声を掛けられたのが最初の出会いとのこと。すっかり忘れてた。そのときのカトちゃんの言葉が「アタック見てたよ」。僕の返しは「どうも」。

ご存じ「小学生のアイドル」。実家はなんと「ミックスジュース発祥の地」である喫茶店。そのことで最近NHKに出たらしい。やっとるなー恒川。

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あ、そうそう、ジャンケン関連のネタでまだ誰にも言っていなかったものを。

クイズを頑張っていた頃は、どんなものでも練習、勉強、経験ということで貪欲に吸収しようとしていた。
ジャンケンもまた同じで機会があればやっていた。

今はもうなくなってしまったけど、昔京都の北白川というところに24時間営業をしているバッティングセンターがあって、そこにはゲームセンターが併設されていた。
大学生になったころ、まだ5回生で在学していた稲川さんと夜中にバイクを飛ばしてこのゲームセンターによく行っていた。
そこにはジャンケンのゲームがあった。映像の外人の女の子とジャンケンをし、勝っていくと相手が服を脱いでいくというシロモノだ(笑)
外人好きは昔からだし、ジャンケンの練習にもなるというので僕は必ずそのゲームをしていたのだ。

で、これがまた強い。全然勝てないのである。
当時のそのゲームは精巧なものには見えなかった。彼女たちがジャンケンをする映像が最初から最後までスムーズだったということは、つまりは僕がパーなりグーなりのボタンを押す前にゲーム側の手が決まっているということを意味した。
このゲームの制作者は何かしらジャンケンに対する独自の規則性や、下手したら膨大なデータから何かを編み出したのかも知れない、そう思えるほどにこのゲームはジャンケンに強かった。

しかしながら僕は絶対に法則性やバグがあると確信していた。
そして何回かやっていくうちにある法則に気が付いたのだ。それが「アイコ2回連続の次」というものだった。
このゲームではアイコが2回続くと、必ず3手目は「そのアイコの手で負けるもの」を出せば勝てたのである。つまり外人の女の子の服を脱がせることに成功するわけだ。

これがわかったときから僕は実際のジャンケンでの展開でも「アイコ2回連続」について注目するようになった。どういう雰囲気でジャンケンをしている人は3手目をどう出すか、みたいなのを研究したのである。
ジャンケン必勝法なんてのは存在しないとは思うけど、僕はここだけにはこだわっていて、実際にある程度の成果は出していた。
しかしその研究結果がまさかの成田で出るとは!
だからあの対戦でアイコが2回続いたとき、その時点で僕は「もらった!」と思ったのだった。

以上で「成田篇」は終わり。ちょっと長くなりましたね。
9月2日、同じ日に行なわれた「機内篇」は特別に明日9月3日の夜にアップします。

というわけで、この続きは9月3日の夜に。



その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)




コメント(6)

“『28年前日記』その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)” への6件のフィードバック

  1. あきとし より:

    オレの26年前日記は9月4日から始めたんで、9月2日がないんだよね。

    オレのジャンケンの相手は高校生クイズを制した東大クイズ研のWくん。ジャンケンはあっさりストレートで勝った。全然負ける気しなかったもん。

    それはいいんだが、後日談があって、それはウルトラクイズ出場者全体での大同窓会のこと。ちょうどいい機会なので、ここに書かせてもらおう。

    なにしろ全16回プラス今世紀最後も含めたすべての回の出場者が集まる大イベントで参加者は番組で見た有名人揃い。
    直接会ったことはなくても、番組で見ているし、見られてもいて、初めて会うのに、すでにお友達状態だったりする。
    そんな会場の中にあって、こちらを遠巻きに見ながら、チラチラと視線を送ってくる女性のような男性が。
    どう見ても女装だよな。誰だ、あれ。
    と、その時、その彼のような彼女がつかつかとボクの前にやって来て、話しかけてきた。
    「成田のジャンケンで負けたWです」
    あの時の彼だったのだ。

    二十数年という歳月は人を変えてしまうものだと、しみじみ感じた出来事だった。

    • Nagato より:

      おい! ここで書くなよー! 自分のブログでやれー!(笑)
      しかし、わたなべー(あ、言っちゃった)。オレも最初わからなかったぞ。
      とにかく次回の同窓会で会おう!

  2. うさぎ より:

    やった~~~!帰ってきた!宇宙戦艦ナガト!!
    ありがとうございます!!これから一か月楽しみです!
    でも理論編よんでるわたしとしては、
    未発表の写真に期待してます!
    長戸サンのオールブラックスとパジャマ姿が
    大好きなので、どーかどーか掲載してくださいな!

    • Nagato より:

      メッセージありがとうございます。
      写真ですが、肖像権でチェックが入ったらすぐに削除します。
      でもチェックが入らない限り、ガンガン蔵出しして行こうと思ってます(笑)楽しみにしていてください。
      オールブラックスとパジャマね。オーダー、承りました(笑)

  3. どろかば@hippomud より:

    パン好きwwwww

    で、野球拳ゲームの轍で行くんだったら「グー」なんじゃねーの??

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