2017年9月3日 『28年前日記』その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)

にも拘らず写真を撮るという暴挙に出てしまう。小野さんが怖い顔をしてこっちを見ている。
そりゃそうだ。すんません。

機内ペーパーが行なわれる旅客機はウルトラクイズ御一行様の貸切のように思えるが実際は一般の人も搭乗している。接触することは基本的にはないもののトイレなどで機内を移動すると鉢合わせすることもある。
そしてそんなときは決まって、「あ、クイズ?」とか言われたりする。

これ、実際にはもっと深刻なことが起こっていたりする。
後半の20分がスタートして半分ぐらいのときにトメさんがいきなり「あと5分です」とコールしたからだ。直後に訂正されたので事なきを得たが、あの時は焦ったの何の。こっちは400問を解くための「100問10分」の体内時計ができているため、ありえない時間の流れだったのである。
本放送の機内ペーパーの様子で、僕がむちゃくちゃ驚いた表情をする場面があるが、あれはこのコールミスを受けた時のものなのだ。
若手は知らないだろうなあ。当時「イカ天」と略される人気音楽番組があったのよ。ただし関西では一切放送されていなかったので「浪花の商人」の恒川が知らなかったのも無理はないのだった。ちなみに正式な番組名は『イカの天ぷら』ね。
この『クイズは創造力』が世に出た当時、僕は4回生で復学していた。翌年偉大な稲川先輩のように5回生まで進んだが、そこでめでたく中退してしまった。その直後、2度目の南米へ旅立つのである。
このツアー中、僕はそんなことばっかり考えていた(笑) いかにカメラをもらうか。若手芸人の気持ちはよくわかる。
島田くん。ドーム予選で僕らの近くに常に陣取り、ぴったりついてきてここまでやって来た知り合いでも何でもない人(笑) もちろん13回のメンバーとしてその後仲良くなった。でも下の名前を忘れたぞ。島田あー、元気にしてるかー。
山本信義。当時3回生。今でも「10番」は「シドニータワー」なんだろうか。
虫明隆。ポーカーフェイスが持ち味の1回生。ブーブーゲートを無表情でスタスタ通過するというネタをやれ、と怖い先輩に言われてそのまま実行するも、トメさんに「オイオイオイオイ」とか言われるわ、全てカットされるわで散々だった。虫明すまん!
片山泰宏。クイズ研ではなかったのに名古屋大学というだけで「立命館」「東大」「名大」のカテゴリに入れられていた。後にモーリー耕作隊の1人になる。
池田豊。こちらは当時、同志社大学にあった「元禄の茶壷」というサイケデリックな名前のクイズ研のメンバーだった。第13回ではモーリーでのバラマキで「イノイノブタはイノブタと何のあいの子?」という問題に「ウシ」と答えたことでおなじみ。そんな珍解答をしているから耕作隊になってしまうのじゃ(笑)
そしてグアムのドロンコは翌3日の朝から行なわれ、負けると即座に帰国となる。
つまり日本テレビに集合したのが金曜日の夕方で、グアムで負けてたとしても日曜日には成田空港に戻ってこれるというわけだ。ジャンケン、ペーパー、ブーブーゲート、ドロンコなどの極限の非日常を経験しても実は仕事や学校は休まずに済んだのである。
というわけで、この続き「グアム篇」は1日ズレて9月4日の夜に。
その1:国外第一次予選 南米→日本 (1989年7月29日~8月6日)
その2:国内第三次予選 成田空港 (1989年9月2日)
その3:第1チェックポイント 成田→グアム (1989年9月2日)
その4:第2チェックポイント グアム(1989年9月3日)
その5:第3チェックポイント グアム(の夜)(1989年9月3日)
その6:第4チェックポイント ゴールドコースト (1989年9月7日)
その7:第5チェックポイント モーリー (1989年9月9日)
その8 :第6チェックポイント ブルーマウンテン (1989年9月12日)

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